〈現代の寺子屋〉個別指導 修栄館

~自学・自習・自調~ <基礎基本を大切に>

昭和の風景1

こんにちは!修栄館代表のトムスターです。
 いや~、最近はやっと暖かくなってきましたねー。
ただし、いまだにコロナも残っていますし、花粉(今の時期はヒノキらしいですが)も飛んでいますから体調管理には気をつけたいものです。
 

 さて、今回は内容をガラッと変えまして、自分の子供の頃(昭和の時代です)の話でも書こうかなと思います。というのも私はよくラジオを聴くのですが、先日お気に入りの番組が終了してしまいまして…。その番組が昭和の内容を中心にいろいろな分野のゲストのみなさんから話を聴くことができたので。私としましてはとても懐かしく聴かせていただいていたのです。ということで今回から数回にわたって自分の覚えている限りの「昭和」について書いていこうかな、と思います。
 中・高生のみなさんは、「ふ~ん、そんな時代だったんだ~」ぐらいの感覚で読んで下さい。
 
 私が生まれた時代は高度経済成長期真っただ中の活気のある時代でした。
 そのころの有名人には、プロレスラーの力道山という人がいたそうです。『いたそうです』と言ったのは、私が赤ん坊の頃の話なので全然記憶にないからです。私の母親なんて、私を産むときにテレビで力道山の試合を観戦しながら出産したそうです。
 その頃のテレビは、今では全くお目にかかれない「白黒テレビ」でした。もちろんリモコンなんて便利なものはありません。「チャンネル」をガチャガチャ回してました。また真空管で作られていたので、スイッチを入れてから数十秒たたないと画面が出てきません。今のテレビではありえませんね。
 

 また電気洗濯機はありましたが、もちろん洗うだけの機械です。今のような全自動で乾燥までやってくれるなんてものではありません。側面にローラーが付いていて、洗い立ての洗濯物をそのローラーに挟んで、脱水らしきことができました。のしイカみたいに洗濯物が出てくるので、爆笑しながら手伝っていた記憶があります。

それから私のうちは、風呂にガスが付くまでは、「まき」で風呂を沸かしてました。父親の補助で、まき割りもよく手伝いましたね。
今の中・高生のみなさんには想像もつかないでしょうねえ。
 

 町の様子は、本当に映画の「Always」のままでしたね。道を走る車?はオート三輪車、箱型のゴツイ日本車などが埃をまい上げて走っていましたね。バスは、トトロに出てくる猫バスみたいな形のバスが普通に走っていました。
 道路は半分くらいジャリ道でしたよ。完全に土の道路もあったように記憶しています。転んだら確実に出血決定でした。そしてケガをしたときに傷口に塗るのは「赤チン」と呼ばれる真っ赤な消毒液でしたね。絆創膏なんてあまり貼った記憶もありません。また道路わきの電信柱は今のようなコンクリート製でなく、木製でした。よく電柱に登って叱られましたね。
 

 子供の遊びというと、友達や近所の仲間とメンコやビー玉、ベーゴマをやってました。珍しいメンコを取り合うのは、今のトレカで遊ぶのと同じかなあ?
 他にもいろいろと昭和時代の懐かしい光景が浮かんできますけど、詳細は次回以降に書かせてもらいます。最後まで読んでくれてありがとうございました。